No.80 春眠暁をおぼえずって、なぜ?
「春眠暁を覚えず」という唐詩選の孟浩然の春暁詩からの文言を、春になるとよく耳にします。TVの天気予報や新聞などでも、春になると、必ずといっていいほど、「春眠暁を覚えず」をタイトルにしたコラムが企画されますね。「春眠不覚暁、処処聞啼鳥」、春の夜は、気持ち良くぐっすり眠ってしまうので、目が覚めたら、太陽は既に昇ってしまっていた。いたる所から鳥の鳴き声が聞こえる。もうすっかり明るい朝だった...という意味。日本人の初春の睡眠状態をよくあらわしているので、流布したものと考えられます。
日本人の四季の睡眠時間についての全国調査では、睡眠時間が長い季節は冬であることが判っています。特に、高緯度で冬の日照時間が少なく寒い地方、たとえば秋田など、では、l0月から2月まで睡眠時間が長くなり、気分も落ち込み体重が増加する人が結構います。また、初秋から冬にかけて糖類等の炭水化物の摂取に対する嗜好性が上昇します。おいもなどの甘い物が欲しくなってしまうんですね。このような四季の変動の大きい人は、日本人のなかに13%ほどいて、女性の方に多いのです。
同じような傾向は、海外の同様の緯度にある国や地域でも見られています。人間の遺伝子の中に、まだ動物だったころの冬眠遺伝子が残っているのかもしれません。日照時間が少なくなり気温が一定以下の寒い状態になるとその遺伝子が発現してこのような状態を起こしているのかもしれません。一種の冬眠様の行動なんですね。
なお日照時間とは、日の長さではなく、一日のうつで太陽の光がしっかりと照っている時間をいいます。どんよりと曇った日や降雪の多い日本海側の冬の季節は、日照時間が少ないことになります。
日本の四季のうちで、日照時間に関係する日長時間の変化が最も急激なのは3月から4月にかけてです。この季節には、気温も急激に上昇し、睡眠にとって適度な過ごしやすい温度になります。
冬には寒冷刺激による筋肉の緊張の増加や皮膚表面の血流量の低下、交感神経系の機能亢進があり、睡眠中の深部体温も下がりにくく、日中の活動量も減少する傾向があります。北風の吹く寒い時期には、外であまり運動したいとは思わないですよね。さらに高齢者では、夜間のお手洗い覚醒の回数も増え、中途覚醒が多くなってしまいます。冬の睡眠時間は長いのですが、このような状態では、熟睡感は得られず、寝起きも悪くなることが多いのです。
一方、冬へのリバウンドのあり、春には気分が高揚し、日中の運動量も増加します。また、交感神経系の機能亢進状態も改善され、睡眠中の体熱の放散も盛んになり、睡眠の環境温もここちよい状態になっています。そのため、浅い睡眠が減り、冬に比べより深く眠ることができるようになるのです。メラトニンや性ホルモンなどの季節変動は、十分には調べられていませんが、朝の起床時までしっかりと分泌されている可能性は高いのです。メラトニンは覚醒を押さえ込む眠気ホルモンなのです。春に朝の起床時までグッスリと眠ることができるのも、メラトニンが影響しているのかもしれませんね。
これらの結果、春には熟睡でき、朝の光が寝室に入ってきても覚醒することが少なく、「春眠暁を覚えず」と感じるようになるのでしょう。
文章:国立精神神経センター・精神保健研究所 医学博士 白川修一郎先生